今日は節分、明日は立春

ここ数日、明るい陽射しや空気の中に、春の訪れを感じるようになりました。1月22日に講座で訪れた岡山の山々の木々は蕾を膨らませ、先日訪れた京都北野天満宮の梅も綻びはじめました。春ですね。

 

空堀ことば塾を立ち上げた20年ほど前、「ことばの教育と芸術」をテーマにブログを始めました。Yahooブログ。そして、10年ほど前から、ブログと並行してFBをはじめました。現在は、個人のFBで、低山徘徊の「山日記(さんじつき)」を書き、空堀ことば塾のFBで、シュタイナーの教育芸術をテーマとした「シュタイナーベーシック日記」を書いています。いずれも、閲覧者を絞らないオープンな記事です。初めは、ブログも書いてFBにリンクしたりしていましたが、歳月が経つにつれてブログを書かなくなりました(過去の記事はamebloにお引越し)。

 

ブログというのは、アメリカ発のグローバルなFBと比べるとローカルで局所的。日常の些細なことを気楽に書くことができるので敷居が低いと感じます。まさに兼好法師の徒然草のようなメディア。「いいね」などないから(サイトの閲覧数はでますが)、人目を気にする必要もなく、ややマニアックなことや内省的なことも結構書けます。春が立つこの時期、その良さを思い出し、思い立ってこの記事を書いています。いつまで続くかはわからないけど。

 

美味しいカレー屋も私塾などの教育の場も、それを不特定多数を相手に公開してしまうと、元の「味」や「うまみ」は損なわれがちになりますし、ローカルであるが故の密な人との関わりも薄れてしまいます。経済合理性(コスパ)が求められる情報化社会になると、どうしても数を稼ぐことが視野に入り、いらぬ気をつかったり、ディテールを割愛したり。まさに味気なくなります。

 

不惑にあたる四十のころにことば塾を立ち上げてから20年近くが経とうとしており、また、私は今年還暦となりました。人生の節目として、初心に還る気持ちで、教育と芸術に今一度、新鮮な気持ちで向き合っていたいと思います。当面、FBは続けますが、ブログはブログとして、秘めやかに心楽しく書いてみたいものです。

 

誰しも同じかもしれませんが、公教育でなく在野の教育を仕事として活動してきたこの20年で、良いも悪いも、幸にも不幸にも、多くの出会いをしさまざまな人生経験を積むことができました。限界を感じるところもありますが、これまでに感じ、また考えた、ことばの教育や芸術の広がりと深みを、これから人生を拓いていく人たちに、少しでも伝えていきたいと思っています。

 

そんなサイトになればいいし、していきたいものです。