漱石『こころ』を再読して

私の読書体験はおそらく人より遅く、おそらく偏っていたと思う。

 

強く記憶に残っているのは、小学生のころ、なにかの折に大阪梅田や神戸三ノ宮にでることがあれば、本を買ってもらったこと。

主なテーマは怪談と科学だったと思う。

思い返すと、不思議なことが好きな少年だったのだろう。

なかでも怪談は、祖母の影響でか自ずと関心をもっていて、強く惹きつけられた。

日本の三大怪談話、お岩さん、お菊さん、お露さんのお話は、主に映画で観ていた。

活字としては小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)さんの怪談や、海外の怪談のアンソロジーがお気に入りだった。

 

その後、中学二年の英語の教科書に掲載されていた「むじな」によってハーンへの関心が意識化され、父にねだって'Kwaidan'を買ってもらった。

今、手元にあるのはペンギンのペーパーバックだが、当時、梅田の紀伊国屋で買ってもらった本は、装丁のしっかりとした分厚いものだった。

中学二年生の英語力では、到底読破できないながら、ページをペラペラとめくって、文字通り、その言葉の断片から、あるいは行間からハーンの世界観と言語感覚を味わった。

 

中学時代、国語科の先生方がすばらしく、日本語への関心を大いに開いていただいた。

特に、中学二年生の担任だったK先生や、ダンディなI先生のお話は面白く、万葉集、平家物語や芭蕉の言葉や美意識が、今につながっていることに気づかされ、ことばの持つ力を、中学生ながらに体感したように思う。

心が芽生えつつある思春期の晩成の少年にとっては、おおいなる刺激だった。

日本語のもつ精神性や芸術性への深い信頼の基礎は、この時期に築かれたようだ。

 

高校時代は、新書や文庫を通じて、ひとりで読書することが多くなった。

読書といっても、なにをどのように読んで良いのかわからない乱読だった。

たしか、高校一年の夏休みか冬休みだったと思うのだが、東京の大学に通う長兄から、河合隼雄氏の『コンプレックス』という本を勧められて読んだ。

とても面白かったし、心理学というものに関心をもつきっかけとなった。

自分の人生において、「心」というものを、朧げながら意識したのは、この本を読んだ時が初めてだった。

 

その後、高一の七夕の頃、長兄は亡くなった。

航空工学を志して入学したのち、その春に科学哲学を目指して学士編入した矢先だった。

不慮の死に、両親や祖母、親戚はもちろん、残された兄弟たちは強い衝撃を受けた。

当時を振り返ってみると、心が壊れたに近い衝撃だった。

思春期の半ば、ひとりよがりで多感、また、世界もまだよく見えない時期に起こった、晴天の霹靂だった。

 

突然、日常に出現した深くて暗い穴。

しばらく虚無に近いものが心の中を占めた。

兄に対する敬意と親しみが強かった分、不意に残されたわたしは、精神的な柱を失ったかのようだった。

この傷を癒す方法なんて、全く分からず、だれも教えてくれないし、もがいたように思う。

そのような精神的な危機の中で、支えてくれたのは、書籍だった。

当時、わたしにとっての読書は「生きるための」ものだった。

 

高校時代に読んだのは、新書のほかには、小説だった。

それほどたくさん読んだわけではないが、ヘッセと漱石、中島敦の文体がしっくりきた。

漱石では『こころ』を読んだのだが、当時、突然目の前に現れた死の影を、どのように受け止めるかという問いに対する答えを、必死に探していた。

でも、未熟な17歳のわたしに、その答えがみつかるわけもなく、自殺にいたる「先生」の心の葛藤に兄の心の(そして自己の心の)葛藤を投影することで、癒しを得ていただけのように思える。

 

最近、小説を書いている妻の手元にあった『こころ』に目がとまり、借りて読んだ。

約40年ぶりだろうか。

京都で浪人生活を送っている時には、漱石全集を秋の古本市で落札するほど好んでいたのに、大学に入学してからはほぼ漱石は読まなかった。

 

今回読み返してみて、58歳の今のわたしは、先生の罪の意識と自分なりの罰の処し方に、若いときと同じく共感しつつも、同時に、先生が友を裏切った卑小さに強く注意が向いた。

反感とまではいかないが、実人生でそのような人間、卑小な人間(と覚しき人)に多くであってきたのかもしれない。

また、友人を裏切ったこともエゴかもしれないが、自ら死を選んだのも強烈なエゴイズムに見えたからかもしれない。

たとえそれが、仏教の説く、煩悩からの解放だったしても。

大学時代の後輩が下宿に貼っていた「自殺は死罪だ」という言葉が思い起こされる。

 

その後、不登校になりつつも、先生方の温情でなんとか卒業できたのだが、当然希望する大学には合格することはなかった。

そして、ある意味当然の帰結かもしれないが、予備校時代に、食生活の不摂生のため体をこわした。

尿道結石と大腸炎を併発していたのだが、あまりの痛さとしんどさに、入院前、これは死ぬかもしれないと思って自宅で遺書を書いたりもした。

いまから考えるとお恥ずかしい限りだが、自らの死をはじめてリアルに意識した。

幸いなことに、医師である叔父の同級生のいる病院でもあり、親身に対応していただいて、回復に転じた。

 

入院後、少し病状が回復してきたころ、父に頼んで、前か気になっていたドストエフスキーの小説のいくつかを差し入れてもらい読んだのだが、なかでも『罪と罰』がその後長くこころに残った。

今思うと、『こころ』と同じく、みずからの罪に対する罰をめぐる内的な葛藤劇という点で、共通するテーマである。

 

ただ、娼婦ソーニャ(物質的には娼婦でありながらも精神的に気高い女性)の力を借りて、ペテルスブルグの広場に身を放下し、シベリア流刑地で(精神的に)目覚めるというストーリーの中に、わたしはより親近感を感じる。

 

晩年、漱石は「則天去私」という思想にいたり、エゴイズムからの脱却を目指しつつも、「門は自分で開けて入れ」という禅の思想にも強く囚われていたように思える。

 

ここで、自力と他力という思想上、宗教上の対立や是非を論じようとは思わないが、今の私は、ひとりひとりの人間と「おおいなるもの」との関わりを肯定したい。

 

その意味で、今回の『こころ』は、17歳のころと比べて、こころには強く響かなかった。

とはいえ、漱石が、明治前夜に生まれ、江戸から明治へと変わりゆく文明開化の時代をいきるなかで培った日本文化の水脈を、西欧にかぶれずに流麗で簡潔な流麗な文体で表現してくれたことには、感謝しかない。

 

年月を経て、同じ本を読み返すというのはいいものだなと思う。それに耐えうるのは、時代を経て色褪せぬ古典なのだろう。生きていることの楽しみのひとつだ。