いまの時期、年齢だから表現できること


昨年以来のコロナ禍で、生活や社会のあり方は大きく変わりました。

 

空堀ことば塾も、一年は踏ん張りましたが、今年の三月末にて教室を閉じ、こどもと大人向けのオンライン講座とシュタイナー教育の出張講座を二柱に活動しています。

 

それゆえ、自宅に滞在する時間が増えました。大学生の二人の娘はともに下宿しているので、自宅には夫婦二人と猫一匹。ことばにまつわる仕事を除くと、自炊と散歩と読書と山登りが日課になった、平穏な生活を送っています。

 

教室運営と対面下でのこどもの教育には、当たり前ながら相当のパワーがいりますし、その分やりがいがあります。でも、いまは、この生活を楽しみながら、その分、アイデアを広げたり、心に浮かぶ記憶や感情やイメージを大切にしたいと思います。

 

空堀ことば日記は、空堀ことば塾を立ち上げたときにはじめた、ことばをテーマにした日記。「言葉」でなく「ことば」と漢字にしていないのは、「読み書くこと」よりも「聞き話す」こと、つまり身体性や社会性を大切にしたいとう意思の表明だったのですが、その考え方には今も変わりはありません。

 

ただ、聞き話すことの学びに注力した分、読み書くことへの意識を、敢えて抑えようとする無意識も働いていたように思えます。ことば塾を立ち上げて16年、齢はなんと58歳となりました。こども時代を考えると気の遠くなるような年齢です。でも、このような年齢だからこそ、いろいろな意味で中立的に、またバランスをもって、自分に向き合えるようにも思います。

 

もともと、ヤフーブログで「空堀ことば日記」を書いていましたが(現在はAbemaに移動)、これからは「新・空堀ことば日記」と改めて、ことばをテーマに、心に浮かぶイメージ、心象を自由に書き留めたいものです。

 

ブログから出発し、その後、FBへと幅を広げながら、みずからの経験したことや感じたこと、考えたことを表現してきました。FBはより広くつながるためにはいいメディアだと思いますが、その分、文章の長さは短くなりますし、万人にわかりやすくしようと内容が平板になる(読み手に媚びる)恨みもあります。

 

ですから、こうして、読む人もあまりない、ウェブの隅っこに、どちらかというと自分のために、やや内省的でマニアックなことばを記すのも、ありかなと思います。写真抜きで文章だけで。でも、これが、だれかの目に触れて、その人の心の中に密やかなさざ波がたったとしたらうれしいです。そして、そのさざ波の片鱗を、コメント欄に記していただけたらなおうれしいです。

 

真実は細部に宿るのだから。

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コメント: 2
  • #1

    池田園子 (月曜日, 07 3月 2022 17:31)

    塙狼星先生

    こころの湖水にさざ波

    先日、先生に送りつけました拙い私の文章のタイトルです。
    この文章を読み、呼応するような表現をみつけ嬉しい気持ち
    になりました。心をこころとしたのは、おぼろげながら
    とらわれずに自由でいたいという気持ちを込めたのかもしれません。
    もう、16年程前のことですが。。。

    読み書くこと 聞き話すこと
    ずっと、読み書くことをやってきました。
    高校の芸術の授業で、今は書道教室にて。
    聞き話すこと。消えてなくなるけれどいつまでも
    こころの中に残るもの。形に残るものではなく、
    伝承されて伝わってきたもの。その時にしか表現できない
    ことばの表現。そういうもの。新鮮で強く惹かれます。

    話すことを書くことに繋げられたら。。。
    真実は細部に宿る。
    国語教員養成での学びから書道教室への夢が出来ました。
    とってもささやかな。私には喜びです。
    ありがとうございます。

    池田園子

  • #2

    空堀のやまねこ (火曜日, 08 3月 2022 10:51)

    園子さん、温かいメッセージをありがとうございます。「さざなみ」の繋がりで、こちらもシンクロですね。

    ともに言葉の教育芸術に携わるものとして、言葉の内奥にあるものへの探求を続けていると、湧き出る泉の存在に気づくように思います。

    シュタイナー教育は、様々な教材や方法論も大切ですが、それらはこの泉(湖、水海)から生み出だれているのでしょう。そしてそれは、「はじめに言葉ありき」というヨハネ福音書に通じているのだと思います。